あるトランスジェンダーの世界Marion.K

「女」を割り当てられて育ち「男」のように生きているあるトランスジェンダーの内面を記します。

自分をいつトランスと認識するのか

私がトランスジェンダーだと打ち明けると、「いつからそうだと感じていたの」と聞かれることがある。実は私にも分からない。私は幼少の頃から、「性役割」というものに違和感を覚えていた。ランドセルの色が性別で決まるって変じゃないか。教室で席替えの時男女で分ける必要はあるんだろうか。男と女の違いなんて、ちんこがあるかないかぐらいなのに、どうしてみんな、こうも男か女かに拘るんだろう。

私が6歳ぐらいで既にジェンダーロールを相対的に捉えていたからといって、私が自分の性別に違和を持っていたとは言い切れない。親の影響で「男女は平等なんだ」と真剣に信じていたに過ぎないかもしれない。小さい頃は親の言うことはだいたい正しいと思っていて、学校の先生の言うことでも、「男女平等」に反することは間違っていると思っていた。私はいわゆる「男の子のような恰好」をしていたけれども、それは親以外から期待されるよく分からない規範に対する反抗を表したかっただけかもしれない。ジェンダーロールをすんなりと受け入れられない、懐疑的になる、というのはシスジェンダーフェミニストだって同じだろう。

 

中学生になる前だったと思う。テレビで、ある女性アスリートを特集していた。試合で勝つためにコーチに薬を飲まされ続け、その結果体が男性化してしまったという人だった。その時初めて、薬で女の体が男のような体になることができるんだと知った。私はいつか自分にそのようなことを起こそうと漠然と思った。

中学生になって、保健室の前に「性同一性障害」を紹介するポスターが貼ってあるのを見た。それを読んで、ああ、私は「性同一性障害」なんだ、と理解することになった。身体を男性化することをなんとなく望んでいたし、自分の身体の女性的な特徴を嫌悪してもいた。理由は今でもはっきりしない。後述するように、社会が酷く女性差別的であることを知っていたことが関係したかもしれない。このころの女性差別に対する私の意識については別の文章(女で生まれるということ - あるトランスジェンダーの世界Marion.K)に書きたい。

 

 

中学、高校の制服が嫌だった。「性別」というものに異常な執着を見せる社会が理解不可能だった。これは「性差別」あるいは「性同一性障害の人に対する差別」、子どもの服装の自由を奪う権力の横暴なんだ、と思って憤っていた。制服が嫌だということを、「性同一性障害だから嫌なんだ」と解釈されたくなかった。「男になりたい女」と思われるのは屈辱だった。特に男にそう思われるのは耐えられなかった。だから私は他人に「性同一性障害」だと思われたくなかった。

 

高校一年生ぐらいで、「トランスジェンダー」「性自認」「ジェンダー」「性的指向」という言葉を知った。この時に知ったこれらの言葉の意味は現在の私が使うものと違う。当時は、「トランスジェンダー」を「生物学的性と性自認が違う人」と理解した(今は、出生時に割り当てられた性以外の性で社会生活を送る人という意味で使う)。「性自認」の意味ははっきりしなかった。

 

私は自分を「男」と「自認」したことはない。「性を自認する」ということの意味が分からない。それでも自分を「トランスジェンダー」と理解したのは、自分の身体の女性的な特徴を嫌悪していたからだった。身体の嫌悪こそが、私がフェミニストであるだけでなくトランスジェンダーであることの唯一の根拠だと考えた。私は「男」ではないが、「女」ではない何かなのだ。このころからはっきりと、「トランス」することを決めていた。20歳になったら身体移行を始めた。何の迷いもなかった。見た目の変化を周囲にどう思われるか、どう説明したらよいか気にしながらも、私は解放されていくような気がした。

 

しかし、それから確か2、3年経ったころ、ある疑念が生じた。20歳ごろに、この社会が隅々までジェンダー化されていることを理解した。「女は作られる」。社会は女性差別的である。私のあらゆる思考─深層心理まで含めて─はそういう社会に規定されている。もし、女性差別的でない環境で私が自己を形成したなら、果たして私は自分をトランスジェンダーだと理解しただろうか。トランスジェンダーインターセックスとは別の概念である。インターセックスは、雌雄両方の羽を持って生まれてくる蝶のように、身体の外面(染色体、外性器・内性器の形など)が典型的な男や女のどちらかに分類できない状態で生まれてきた人のことをいう(インターセックスの人の多くは自分を男や女にアイデンティファイするらしい。トランスとアイデンティファイする人も当然いる)。私は典型的な女の外面を持って生まれたのでインターセックスではない。社会が私を形成する過程で、自分をトランスジェンダー─女ではない何か─と理解するようになった。自分を生まれつき「女ではない何か」だったと言い切ることはできないのである。

こんなことを言うと、私をトランスでないとみなす人がいるかもしれないが、私は「女でない何か」で生きるしかなかったという意味で自分を「トランス」と表現する。