あるトランスジェンダーの世界Marion.K

「女」を割り当てられて育ち「男」のように生きているあるトランスジェンダーの内面を記します。

女で生まれるということ

幼いころこんなことを考えた。私は強盗が怖い。強盗は家に入って被害者を脅す。被害者は怯える。被害者は弱い。強盗に立ち向かうには、強盗と同じぐらい怖い存在になれば良いのではないか?もし、強盗が家に入って、偶々別の強盗に出くわしたらどうなるだろう。強盗は怯えて退散するかもしれない。じゃあ強盗が入ってきたら、自分も強盗のふりをしたら良いのではないか。自分も強盗になってしまえば他の強盗が怖くなくなるのではないか。

性暴力というものを知ったとき、私は絶望的な感覚を覚えた。レイプされるのは女で、するのは男で、それは決して覆らない関係であること(実際には男がレイプされることもあるが、女がレイプされるほうが圧倒的に多いという現実は覆らない)、そして自分が「される」側に属しているということに絶望した。私はこの事実を忘れたかった。日本は安全な国で、男女平等が建前で、自分が被害に逢う確率は低い、自分は被害を避けられる、そう思い込むことにした。

 

しかし「女であること」に絶望させられる要素はそれだけではなかった。小さいころ、叔母さんが職場で「男だったら良かったのに」と言われたという話を聞いた。仕事ができるのに女だから昇進できなかったらしい。社会では女ばかりが家事労働をしているということを知った。出産、月経という男と比べて圧倒的な負担が女に課されていることを知った。売春という産業があり、女は消費の対象であることを知った。女子高校生はJKと呼ばれ、性的消費の対象と見られていることを知った。妊娠「させられる」人がいることを知った。高校生になると、自分が性的な目線でまなざされていることに気が付いた。「男女平等」が幻想であることに気が付いた。大学生ぐらいになって、学問・法律・社会制度などが男性中心的であることを知った。女は軽んじられている。町中の広告のアニメ絵がどれもこれも女の乳房を強調している。社会では女を客体化することに麻痺している。そしてその状況に気が付いている人が全然多くない。この社会で「女である」ことは絶望でしかなかった。

 

男でありさえすれば、それだけで、これら抑圧の全てから自由になるのか。なんという社会だろう。耐えられない。私は現実から逃避したかった。しかし他の人たちは平然としているように見える。私だけがおかしいのだろうか。ある時、「性同一性障害」を知った。ああ、私だけがこの抑圧に苦しんでいるように思えるのは、私が特殊な人間だからなのだ。そう理解することにした。

 

私が周囲に「男」と認識されるようになってから、「女であること」の抑圧から解放されたように感じた。「トランスであること」によって生じる不自由さは、「女であること」で感じる抑圧とは比べ物にならないほど軽いものに感じる。社会で女に加えられている抑圧のことをできるだけ無視するように、忘れることで逃避してきた。

 

アフリカや東南アジアで女性がどんな困難に直面しているかという情報に触れたとき、女に生まれることの絶望を思い出してしまった。女に生まれたというだけで、蔑まれ、月経を恥と感じ、自由がない。片時も「女である」ことを忘れることができない。もし自分が彼らと同じ立場だったら深い深い絶望を感じるに違いないと想像した。それに対して男は男であるというだけでその絶望を想像すらしない。平然としている。なんという世界だろう。

 

トランスの「男」として生活している私の場合「トランスであること」よりも「女であること」による社会的な抑圧のほうが遥かに重く感じられる。これを私が言うと「あなたがトランスだから女であることがつらいのですね」と言われてしまう気がしてうまく言えない。「女であること」によって絶望を感じさせる社会でなかったら私が自分をトランスとしてアイデンティファイしなかった可能性を私は完全には否定しきれない。

 

2023/11/04追記

『私は「女で生まれたこと」を忘れることができない』はたぶん間違い!修正を要する!正しく分析できる状態でなかったので間違えた!後日修正する!

 

私は「女で生まれた集団」に属しているという意識が、「トランス」という集団に属している意識よりも強烈にある。私は自分を「トランス」よりも「女で生まれた集団」の一員として自分をアイデンティファイする。私は「女で生まれたこと」を忘れることができない。「女で生まれたこと」が私を形作っている。おそらく「シスの女」と呼ばれる人たち以上に強く「女で生まれたこと」を意識している。

「女で生まれた」意識が強烈すぎるためにトランスせざるを得なかったのか。それとも、トランスであるからこそ「女で生まれた」意識が強烈になったのか。どちらが現実を言い当てているのか私には判別がつかない。