あるトランスジェンダーの世界Marion.K

「女」を割り当てられて育ち「男」のように生きているあるトランスジェンダーの内面を記します。

「私たちは常に生理とともに生きている」ということ

「経血が脚を伝って流れるままに走ったのは、この通り生理は存在していて、私たちは常に生理とともに生きているのだと訴えるためだった」

月経はまるで存在しないかのように、忘れきってしまえるかのように振る舞うもの、というのが人々の常識になっているように感じる。実際は、人によって、本当に忘れきってしまえる人、たまに思い出す人、思い出さざるを得ない人などなどがいるだろう。少なくとも月経を経験している人たちは、「次はいつだろうか」「あの日に重ならなければ良いな」「遅いな」「最近多いな」「今回は短かくて良かった」「クソ、なんで今日なんだ」「次はどこでナプキンを変えよう」「タンポンは何時までは持つはずだ」「あと何回来るだろう」「おかしい。病院に行かなきゃ」などなど日常的に考えているだろう。

 

月経の話が普段話題になることは殆ど無い。外国のガイドブックを見ても、その国の食事、気候、宗教、言語などは載っていても、その国の人がどうやって月経の処理をしているか、月経についてどんな慣習、習慣があるかなどが取り上げられることはまずない。人口の約半分の人が経験し、経験する人にとってはこんなに日常的で当たり前のことなのに。

 

隠されているということだろうか。少なくとも私からは、この日常性に比して不自然に見えにくいように思う。ピルで月経の来る日を調整できるということを知ったのは、20歳ぐらいで親友に聞いたときだった。月経を止める処方薬もあるらしい。そんなこと数日前(28歳)まで全く知らなかった。「閉経」を知ったのは26歳ぐらい。月経カップを知ったのも27歳ぐらいだ。こういう重要な情報が、必要な人には見えているのだろうか。

 

月経について忘れきってしまえる人が忘れきったままでいられるように、月経なんか存在しないかのように皆が振る舞うように、実は忘れきることができない人に強いているんじゃないだろうか。忘れきった人も社会の一部を構成していて、(実際はたぶんそういう人が大部分の)社会の構造を築いている。こんなに分離しちゃって社会は大丈夫だろうか。歪みが出てるから生理休暇とかが最近話題になっているんだろうが...それは大事な一歩だけど、一方で、もっと、日常性を共有しなくちゃ、あまりにも多くの人と人が離れすぎないか。人口の約半分の人が経験するんだから。人間の社会ってこんなもんだろうか。